1926年 1月 | 明石市に生誕 |
1940年 5月 | 祖父佐藤米治郎に本体高木揚心流柔術と家伝の古流体術の指導を受ける |
1946年 5月 | 明石市樽屋町の高森先生より糸東流空手道の手解きを受ける |
1946年10月 | 糸東流空手道師範谷長治郎先生に師事 |
1946年10月 | 谷先生と共に糸東流開祖摩文仁賢和先生に指導を受ける |
1949年 4月 | 明石市東仲之町の酒販倉庫を稽古場として修交会明石支部を開設 |
1950年 1月 | 貴品流棒術を達人松本尚山先生に師事 |
1951年 | 糸東流空手道四段位を摩文仁賢和先生から允許される |
1952年 8月 | 九鬼神流棒術・体術、神伝不動流を高松寿嗣先生に師事し伝授される |
1953年 4月 | 空手道五段位を修交会々長谷長治郎先生から允許される |
1955年 4月 | 天心古流拳法を坂上博一先生に師事伝授 天心古流捕手術及び棒術を皆伝される |
1955年 4月 | 明武会本部道場「明武館」を明石市東仲之町1番地八号に建設 |
1955年 5月 | 明石市内では太寺の覚心塾と共に交流を重ね空手道の普及と指導者の育成に務める |
1957年 3月 | 武術研究所藤田西湖所長に師事し浅山一伝流や古流体術の伝授を受ける |
1957年 4月 | 谷派糸東流修交会「師範」の免許を受け東播地区本部は谷派糸東流「明武会」として独立 |
1957年 4月 | 第一回大学空手道選手権大会の開催に大いに協力する |
1957年 5月 | 日本空手道連合会(会長笹川良一)発足を準備段階から実現まで積極的に参加 大いに尽力する |
1958年 9月 | 第一回西日本社会人空手道選手権大会(連合会)に役員として参加し選手を派遣し優秀な成績を収める |
1961年10月 | 日本実業団空手道競技連盟第一回選手権大会を初代理事長(副会長)として西宮武道館で開催 |
1962年 6月 | 修交会二十周年記念空手祭で谷会長修交会々長より特別功労賞を受ける |
1963年 3月 | 実業団を代表し全日本空手道連盟結成設立に尽力する |
1964年 4月 | 全日本武道連盟総裁加陽宮恒憲殿下から「空手道達士」と「沖縄古武道錬士」の称号を賜る |
1964年 4月 | 全日本武道連盟会長徳川宗敬氏より空手道七段位を免許される |
1964年 5月 | 沖縄古武道憲信会笹川良一会長より沖縄古武道五段位を允許される |
1964年 5月 | 全日本武道連盟徳川宗敬会長より沖縄古武道部部長を委嘱される |
1964年 5月 | 関西空手道連盟から空手道七段位に列せられる |
1964年10月 | 全日本空手道連盟結成 武道館で連合会を代表して演武をする |
1964年10月 | この頃から京都の武徳殿をはじめとして日本各地で古武道の演武を行う |
1968年 9月 | 日本空手道連合会笹川良一会長より空手道八段位を免許され空手道教士の称号をうける |
1971年 4月 | 日本実業団空手道競技連盟は発展的解消再編成をして西日本実業団空手道連盟となる |
1976年 1月 | 空手道範士の称号を日本空手道連合会藤吉男会長より授与される |
1976年 2月 | 谷糸東流宗家より独立分家となり明武会の大会も全国空手道選手権大会と名称を変更する |
1977年 4月 | 西日本実業団空手道連盟会長に就任する |
1981年 1月 | 明石市より明石市スポーツ功労賞を受ける |
1982年 8月 | 西日本実業団空手道連盟より創立以来の功労者として感謝状を受ける |
1987年 9月 | 日本空手道連合会三十周年記念大会において蔭山幸夫会長から空手道九段位を授与される |
1992年 9月 | 日本空手道連合会蔭山幸夫会長から永年特別功労賞を受ける |
1993年 1月 | 谷派糸東流分家から独立し藤谷派糸東流を創流 初代宗家となる |
1994年 5月 | 全日本実業団空手道連盟の発展に寄与した功績で全日本実業団会長名で空手道十段位を授与される |
2000年12月28日 | 没す |